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大阪高等裁判所 昭和23年(ツ)14号 判決 1949年2月16日

上告人 被控訴人・原告 田中せつ

訴訟代理人 日笠豊

被上告人 控訴人・被告 瀬野寅市

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

本件上告理由は末尾添付の上告理由書記載のとおりであつて、これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

第一乃至第三点について

借家法第一條の二にいわゆる正当な事由は、各場合について、諸般の事情を斟酌して決すべき事項であつて、同條の例示する自己使用の必要も、ただそれだけで当然解約の事由となるのではなくしてやはりさまざまの事情、特にその時その場所における住宅難の程度によつて制約せられることは同條の立法趣旨によつて明かである。そうしてみると上告人が被上告人に対し解約の申入をするに至るまでの経緯や、その動機目的特に上告人が本件家屋の棟続きであつて、同じく上告人の所有である六戸の貸家中一戸が空家となつたのでこれを從兄の池崎重雄に貸與した事情が所論のようであつて、当時上告人はまだ疏開先の家主から立退を求められておらずかたがた被上告人に対しても本件家屋の明渡を交渉する運びになつていなかつたとしても、原審の確定した上告人の自己使用の必要と、被上告人の住居の安全とを双方の地位境遇その他の事情に照して、比べ合わせると全く前例のない生活難住宅難の今日、もし被上告人において本件家屋を失うにおいては、直ちに住居生存の危機に際会するおそれがあるのに上告人は本件家屋がなくても別に住居生存の手段を欠かないことを看取できるから、上告人の自己使用の必要さではたやすく本件賃貸借を解除するに足る事由とはなし難い。從つて原判決には法律判断を誤つた違法もなくその他これを破棄しなければならない違法もない。

論旨は失当である。

第四点について

被上告人が昭和二十一年十二月頃本件家屋の近くにバラツク四戸の建築を始めたが後これを他に売却したりとの所論の事実は上告人が原審において主張しなかつたところである。だから所論事実のあることを前提として原判決が所論事情を考慮に入れなかつたことを以て判断を遺脱した違法があるとする論旨は採用できない。

第五点について

賃借人が賃貸人の承諾を得ないで賃借物を他人に転貸したときは賃貸人は契約を解除することができることは民法第六一二條の定めるところであるが その解除権の行使も同法第一條によつて信義誠実の原則に從わなければならないから、戦後の特殊な社会状態においては解除権の行使が制限される場合もある。

原判決の確定したところによると、被上告人は終戦後日もまだ浅い昭和二十年頃本件家屋の内三室をそれぞれ前田力外三名に間貸をし、前田を除く三名から毎月各十五円の賃料を受け取つているが、被上告人が同人等に間貸をするに至つたのは営利の目的に出たものでなく、当時極度の住宅不足に基く社会不安打開の一助として戦災者を非戦災家屋に收容することの必要が特に強調されていたところから、被上告人はその家族数と間数との振合から若干名の戦災者をその住居に收容することを非戦災家屋の居住者である自己の義務と考え、かねて知合である右四名の戦災者の懇請に基き間貸をするに至つたものであり、同人等は単に部屋の使用を許されているに止まり、これを造作模様替等を行つて家主である上告人に損害を被らせたような形跡はないというのである。神戸市内では多数の家屋が戦災にあつたため終戦後極端な住宅不足を来し現在家屋の極度の利用を計らなければならない情勢にあることは顯著な事実であり、住宅緊急措置令第一三條ノ三、第一三條ノ四において都道府縣知事は余裕住宅の所有者又は占有者に対しその住宅の一部をその指定する戦災者等に貸し付けることを勧奨し更に貸付を命令することができることを規定したことをも考えると、前記のような事情の下においては、たとえ被上告人が本件家屋の一部を他に転貸することについて上告人の承諾を得ていなくても、民法第六一二條によつて上告人が解除権を行使することは、信義誠実の原則にそむくものとして同法第一條によつて許されないものといわなければならない。前記のような事情の下においてなされた転貸については、その直後であつても賃貸人はその承諾を得なかつたことを理由として賃貸借を解除することはできないものと解すべきであつて、原判決において転貸後一年有半を経過した後に提起された本訴においてこれを理由として本件賃貸借契約の解除をするのは解除権の濫用であると説明しているのは当を得ていないけれども、結局解除権の行使を認めない点において相当に帰する。賃貸人の承諾を得ないで今日まで転貸を継続しているのは民法第六一二條の義務違反であるという所論は、住宅不足の状態は今なお解消されていないから、採用できない。その他の所論が失当であることも前記説明に照して明らかである。)論旨援用の大審院判例(但し大正十一年十一月二十四日とあるのは大正八年十一月二十四日の誤記と認める。)は通常の場合における民法第六一二條の解釈についてなされたものであつて、本件のように戦後の特殊な社会状態において前に説明したような特別の事情のある場合に解除権の行使が信義誠実の原則によつて制限されるとする事案には適切ではない。論旨は理由がない。

第六点について

解約の申入について正当な事由がないと認められた場合、その限度において所有権の行使の制限せられるのはやむを得ない。その他の所論については既に説明したところで明白である。論旨は採用しない。

そこで民事訴訟法第三九六條第三八四條第九五條第八九條を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 石神武藏 判事 大島京一郎 判事 熊野啓五郎)

上告理由書

第一点原判決は終戦後目まぐるしく変化した社会状態を無視して借家法第一條ノ二を不当に適用した違法がある。原判決は上告人所有の家屋である楠町二丁目二百八十七番屋敷の家屋が昭和二十一年三月頃空家となつたのに、これを池崎重雄に賃貸して、本件家屋につき被上告人に対し解約の申入をしたことは正当の理由があると言い得ないとして上告人の請求を棄却しておるが、右二百八十七番屋敷の家屋の空家となつたのは、昭和二十一年三月のことであり、上告人が被上告人に対し本件家屋の賃貸借解約の申入をしたのは昭和二十一年十二月のことであつて、其間八カ月の隔りがある。この八カ月の期間こそは社会状勢の変化の最も激しいときである。即ち昭和二十一年三月と云えば、終戦後間もないときであつて、本件家屋の所在地である旧神戸市内の治安状態は非常に惡く、至る所、強窃盜が横行し、食糧事情も非常に不良であるのに交通機関が混雜を極めておるため食糧の入手に困難を来し、又上告人の夫の本業である貿易についても、何日再開出来るか全く見通しさえつかず、更に行政上に於ても任意に疏開した者は容易に神戸市内への転入が許されなかつたときである。之に反し上告人の疏開先である武庫郡山田村小部(現在は神戸市である)は戦災を免れたため治安も確保せられ、農村にも接近しているため食糧の買出しにも便宜であり、住宅地であるから健康にもよく、急いで神戸市に復帰するも差当りなすべき仕事もなく、又家主からも現住家屋につき明渡しの要求を受けていなかつたときであつた。

(明渡しの要求を受けたのは昭和二十一年十月頃である。)斯の如き事情の下に於て、偶々二百八十七番屋敷の家屋が空家となつたからとて、直ちに之に引移らず比較的安住の地である疏開先に止まり、暫く形勢を観望するの挙に出るのは当然のことであつて、吾々の実驗則に照して少しも批難すべき点はない。其後八カ月を経過した昭和二十一年十二月頃になると、社会状勢も非常に変化し、神戸市内の治安状態食糧事情も漸次好転し、貿易についても漸く再開の曙光を見るに至り、加うるに疏開先の家主から家屋の明渡しを求められるに至つたから、上告人は被上告人に対し本件家屋に対する賃貸借解約の申入をしたものであつて、この解約の申入れも亦状勢の変化と被上告人の必要に基く当然の処置であつて吾々の経験則に照し何等批難すべき点はないと言わねばならぬ。そればかりでなく、池崎重雄に二百八十七番屋敷の家屋を貸與したのは、同人は上告人の從兄であるが、神戸市で戦災を受け、一時郷里に帰つていたが、神戸市へ帰つて来たい希望を持つていたところ、偶々上告人所有の家屋で、松本ちゑに、貸與していたものが明くことになつた爲其旨を池崎に通知したところ、同人は昭和二十年の十月頃右家屋に居住すべく荷物を纒めて神戸市に出て来た。

(昭和二十年十月と云えば米軍の進駐直後であつて人心恟々、上告人の如く年頃の娘を持つた者は態々田舍へ疏開したときであるから上告人は無論神戸市へ帰る意思はなかつた)ところが松本は予定を変更して家を明けなくなつたので池崎は住居に困り湊川町の友人の処に居住さして貰つたが、これはほんの一時的のものであつた。(第一、二審池崎重雄の証言御参照)上告人は池崎を神戸市へ呼び寄せて反つて同人が困惑するようになつたことに対する責任を果す意味を交えて困つている池崎に前記二百八十七番屋敷の家屋を貸與したもので上告人の執つた処置は厚き人情の発露とも云うべく、推奨にこそ値すれ毫も非難すべき点はない。

以上のような次第であつて上告人が二百八十七番屋敷の家屋に居住せずこれを池崎重雄に貸與した行爲は吾々の実驗則に照し毫も批難すべき点はないのにこれを首肯できないとし本件家屋に対する賃貸借解約の申入れが正当の理由がないと判断した原判決は借家法第一條ノ二の解釈を誤つておる違法があると云わねばならぬ。

第二点原判決は判決の結果を左右すべき重大なる事実を誤認し且つ充分な審理を盡さずして判断をした違法がある。原判決は其理由に於て「被控訴人(上告人)一家は疏開先の山田村石原勇兵方で終戦を迎えたが、其後間もなく右石原より家屋の明渡を要求せられたのと、夫圭三郎がその勤務先である高島屋飯田布帛株式会社を辞し独立して貿易商を営む意向を有し、神戸市内に住居を構える必要から被控訴人は控訴人(被上告人)に対し本件家屋の棟続きになお六戸の借家を有し、そのうち一戸である二百八十七番屋敷は控訴人に対する右明渡の交渉中である、昭和二十一年三月頃前居住者訴外竹中某が他に転出し一旦空家となつたにも拘らず右空家が本件家屋より間数が少いことと本件家屋の有所権が自己に属し且つ右家屋がもと被控訴人一家の住宅であつたことに執着していたため」云々(判決書三枚目)と事実を認定し以上の事実を基礎として上告人の解約の申入れを正当の理由がないと断定しておるが、上告人が被上告人に対し本件家屋の明渡交渉中二百八十七番屋敷の家屋が空家となつたというのは全くの誤認である。何となれば第一審証人田中圭三郎の証言中「私は五月に帰つて妻の居る疏開先に落ちつきましたが同家とは戦争が済む迄と云う約束でしたのでしきりに催促されますので証人等も一生懸命に家を探しましたが見当らず、被告の方は十二月末日頃迄にバラツク五、六軒を建て、外に瀬野住宅建築用地と云う様な立札を立てる状態でしたので十二月中に弁護士に頼んで内容証明で解約の申入れをしました」とある。この十二月は昭和二十一年の十二月であることは他の証拠即ち第一審に於ける被上告人本人訊問の際の供述として「私は家を建てる様計画して建て始めましたが途中資金の関係で他へ売却しました、その家が完成したのは昭和二十二年二月頃であります」とある点(バラツクを建てるに一年二カ月もの日子を要する理由がないから田中証人の「十二月末頃までにバラツク五、六軒を建て」、は二十一年の十二月を指す及び右田中の証言中被告がバラツクを建て、瀬野建築用地と云う様な立札を立てる状態であつたから弁護士に頼んで内容証明で解約の申入をしたと云うその日が昭和二十一年十二月十日(当事者に争がない)である点を考え合せると右田中証人の証言中の十二月は二十一年であることが明かになつてくる。そうして田中圭三郎の以上の証言の外に上告人が被上告人に対し本件家屋の明渡の交渉をしたと言う証拠は何もないから、二百八十七番屋敷の家屋が上告人、被上告人間に於て本件家屋の明渡要求中に空家となつたと言うのは証拠に基かない誤認であると言わねばならぬ。

又上告人が石原勇兵から疏開先家屋の明渡を要求せられた時期が何日であつたか記録の上では明でない、(事実は昭和二十一年十月頃)原判決は終戦を迎えたがその後間もなく右石原から明渡を要求せられたと認定し「其の後間もなく」は二百八十七番屋敷の家屋の空家となつた昭和二十一年三月頃より以前の意味を表わすために使用したものと思われるが証拠の上では昭和二十一年三月頃以前に石原より家屋の明渡要求を受けていたと認むべき何物もない。もつとも第一審に於ける田中圭三郎の証言中「同家とは戦争が済む迄と約束でしたのでしきりに催促されますので」とあるが、この「しきりに催促される」は期限経過と同時にしきりに催促されたのか期限の経過後相当の月日が経つた後になつてしきりに催促されたと云うのか明でないが、第一審に於ける池崎重雄の証言中「私が原告より現住の家屋を借受けた当時原告夫婦は私に將来貿易が再開せられたら神戸に帰り度い。現在はまだ鈴蘭台(小部のこと)も健康に良いから帰らないと言つて居りました」とある点田中圭三郎の前掲証言中証人等も一生懸命に家を探したが見当らず解約の申入をしたと言う其日が昭和二十一年十二月十日である点等を考え合せると石原から明渡の要求を受けたのは期限経過後相当の日子を経てから(二十一年三月以後)のことであるとも思料されるが何れにしても原判決の如く疏開先で明渡しの請求を受けた点を重視するならば充分なる審理を盡し其の時期を明確にすべきであるのに、事茲に出でず曖昧の間に重要事実を認定したのは審理不盡の違法があると云わなければならぬ。

第三点原判決は上告人の主張を誤認し審理不盡若くは理由不備の違法がある。上告人が本件家屋を必要とするのは単に居住のみではない。原告の夫が貿易商を営むにつき住居兼店舗に使用する爲である(原判決事実摘示証人田中圭三郎の証言中、その他証人は貿易再開も近いので勤務先に辞表を出し貿易商をやろうと待機しておりますので何うしても被告に家を明けて貰つて、そこで仕事をしたいのでありますを参照)而して貿易商を営むについては信用を得るには住宅店舗の体裁も必要であり、又店員を置き商品を置けば、それ相当の場所も必要である故に本件につき上告人に敗訴を言渡すには二百八十七番屋敷の家屋が上告人の夫が貿易商を営むにつき以上挙示の條件を充たしておるか否かの点をも審理し、これを判決の理由中に明かにせねばならないのに、原判決は「優に五人の家族を収容するに足る」を判断したのみで、貿易商として信用保持店舗としての使用の能否について何等の判断をしていないのは上告人の主張を誤認したため審理をしなかつたのか、理由が不備なのか何れかの違法があると言わねばならぬ。

第四点原判決は上告人より提出した被上告人が現在家屋の近くに四戸の家屋を建築しながら、これに移らず他に賃貸しておるのは誠意がないとの主張に対し、証人田中圭三郎の証言は信用しがたく、其他に之を認める証拠がないとして之を排斥しておるが、第一審に於ける証人田中圭三郎同前田力、同松本ちゑ並びに被上告人本人訊問等の各供述によると、被上告人が昭和二十一年十二月頃から本件家屋の近接地に借地してバラツク四戸の建築を始めたが資金の関係で之を他に売却した事実は之を認めるに充分であると思う。果して然らば被上告人は之を売却するに当り(借地権材料代として相当の代價を受領しておると思うから)自己の住居に供するため必要な丈の家屋の権利を保留するか、又はこれを賃借するか等に関し相当交渉の余地が存したものと思われるが此等の点につき誠意を以て相当の交渉をしたかどうかは被上告人側に存する比較考察すべきいろいろの事情の内に包含するものと思われるのに原判決は之を比較考察した形跡のないのは、重要な点につき判断を遺脱しておるの違法かある。

第五点原判決は被上告人が本件家屋の一部を前田力、岩崎あけみ、谷口つや子、清水晴夫等に夫々転貸しおること、右転貸につき上告人の承諾を得ていないことを認定しながら「控訴人が右前田外三名に転貸したのは終戦後日も浅い昭和二十年末頃であつて、当時に於ては極度の住宅不足に基く社会不安打開の一助として戦災者を非戦災家屋に收容することの必要が特に強調せられていたところから、控訴人はその家族数と間数との振合から若干名の戦災者をその住居に收容することを非戦災家屋居住者である自己の義務と考え、かねて知会である右前田外三名の戦災者の懇請に基き右間貸をなすに至つたことは前記証人前田の証言及び弁論の全趣旨に徴しこれを推認することが出来るし又右訴外人等の部屋使用の態様も単純でこれにより家主に損害を蒙らせるような形跡も皆無であることは前記説明の通りで、以上の事実と住宅不足の状態は早急に解決を要ししかもこれをなし得ないと言う深刻な問題の一つとなつている現下の情勢とを合せ考えるならば、たとえ右転貸が賃貸人の承諾なくして行われたものにせよ、転貸後既に一年有半を経過した後に提起された本訴においてこれを理由として本件賃貸借契約の解除をなすは解除権の濫用と解するを相当とする」との理由で原告の本訴請求を棄却しておる。併し昭和二十年末頃は戦災後既に半年余を経過しており、戦災による一時的の混乱はなくなつておる時であり、住宅不足の状態は現在と大差ない時であるが、仮りに原判決の言うが如く其当時に於ける極度の住宅不足に基く社会不安打開の一助として転貸したものとしても、賃貸人の承諾を得ずして今日まで転貸を継続しおることは民法六百十二條の義務違反と言わねばならぬ。又民法六百十二條の義務違反を構成するには賃借人の主観的事情即ち転貸の動機の善惡は問うところでないと解するが正当と信ずるを以て被上告人が如何なる事情によりて前田外三名の者に転貸したものとしても契約解除の制裁は免れないものと信ずる。又民法第六百十二條の規定を設けたのは賃借人の何人であるかは賃貸人の利害に至大の関係を有するから賃借権の譲渡又は転貸には賃貸人の承諾を要することとしたのであるが、この立法上の理由と成法上の解釈は区別して考うべきであつて、個々具体的の場合に賃貸人に損害を及ぼさないから賃借権の譲渡又は転貸が賃貸人の承諾なくともなし得るものなりとの解釈は許さるべきものでない。蓋し法律が一般的に賃借権の譲渡又は転貸に賃貸人の承諾を要すと規定したのは、具体的に生じた個々の賃借権の譲渡又は転貸が賃貸人に損害を及ぼすや否やにつき判断の労を省く趣旨をも包含するものであるからである。故に原判決の言う転借人等の部屋使用の態様が単純であり家主に損害を蒙らしめないとしても上告人の承諾なき本件転貸を適法視することはできない。又原判決は転貸後既に一年有半を経過した後に提起された本訴に於てこれを理由として本件賃貸借の解除をなすは解除権の濫用と解するを相当とすると言うが、解除権行使の時期については法律上制限がなく、上告人が解除権を行使したのは一年半以前の転貸の事実のみを理由としたものでなく、継続せる現在の転貸の事実をも其の理由としたものである。更に転貸後幾年を経過するも転貸の事実を賃貸人が知らなければ契約を解除することの出来ないことは言うまでもない。而して上告人は被上告人が本件家屋を前田外四名に転貸しておることは本訴の口頭弁論中に於て始めて知り、各転貸の事実を知るに從い解除の意思表示をしたものであつて、転貸を理由とする解除の意思表示が昭和二十二年十月二十七日附準備書面に依るものと昭和二十三年一月十三日の口頭弁論の際に於ける口頭陳述に依るものとの両度になつておるのも以上の理由に基くものである。故に転貸後一年有半を経過した後に解除をなすことが解除権の濫用であると云うことが仮りに正しいとしてもこの理由によつて解除権を否定するには上告人が一年有半前に転貸の事実を知つていたことを判示せねばならぬと思う。

以上の次第で原判決が上告人がした契約解除の効力を否定したのは何れの方面から観察するも民法第六百十二條第二項の解釈を誤り且つ從来の大審院の判例にも違反する不当のものであると信ずる(大正十一年十一月二十四日言渡大審院判決民事判決録二五輯二〇九九頁、昭和十年四月二十二日言渡大審院判決民事判例集第一四巻五九一頁御参照)

第六点以上第一点乃至第五点で主張したように原判決は何れの点から見ても違法のものであるが本件事案全体を通じて原判決の当否を観察せんに上告人は本件家屋の所有者でありながら現在住む家がなく、大人五人の者が二階の四疊半二室に居住し足を延して寝ることすらできない有様である。之に反し被上告人は借家人でありながら自分に不必要な程廣い家に居住し多くの部屋を多数の者に転貸し悠然として構えておる有様である(被上告人は資金の関係で他に売却したと称する家屋の一戸で喫茶店をもしているが、之は記録に表われていないから茲では主張せず)しかも家主である上告人が自己の居住のため家屋の返還を請求しても裁判所は之を許さない。吾々の持つている所有権の観念社会常識の上から考えて斯様な不公平のことがあり得るであろうか。原判決は解約申入した八カ月も以前のことを取りあげ、空家が出来たのにそれに居住しなかつたことが手落であると言うがそれなら賃貸借解約の申入を受けると倉惶として建築中の家屋を他に売却しておいて、住む家がないと頑張り通すのが信義誠実衡平の原則に適合するものであろうか、二百八十七番屋敷の家屋が空家となつた際に居住しなかつたことが手落であると言うなら建築中の家屋を他に売却したことも手落である。双方共に手落があるとしたら所有権を持つている者に勝團扇を揚げるのが吾人の社会常識ではなからうか。借家法第一條ノ二には建物の賃貸人は自ら使用することを必要とする場合其他正当の事由ある場合云々と規定し、文理解釈上では自ら使用することを必要とする場合は無條件自ら使用することを必要とする以外の場合は正当の事由あることを要すると言うことになる。しかし賃貸人が自己使用に託け解約の申入をすることを防ぐためか解釈が拡張せられて、正当の事由は、自ら使用することを必要とする場合にもかかると言う風に解釈されておるが、この解釈をあまりに推進していくと所有権の一機能である使用権を永久に奪い去ることになり、所有権の本質を失わしめ、所有権否認に墮することになる結果を生ずることに注意せねばならぬ。

本判決の社会に対する反響は実に大きい。上告人の友人は本判決の結果を聞き、上告人に忠言して日く「今の世の中に金を出さずに勝とうと考えるのが間違である」と。これは行政機関の綱紀が紊れ何事をするにしても所謂袖の下と称するものが必要であることに顧み、裁判所にも同様のことが行われるものとの誤解に基く言葉であつて、とるに足らぬことのようであるが、司法が國民の信頼を繁ぐ上に於て如何に判決に深甚の注意を拂わねばならぬかと言う点で以上の言葉も他山の石とすべきでない。又上告代理人の同僚は此の判決を聞き驚嘆して曰く「吾々の頭も古くなりしか」と。これは新しい行過ぎに対し洩した嘆声である。中道ば政治にのみ必要ではない。裁判こそ中道を歩むことが最も必要である。敢て御廰の明鑑を仰ぐ次第である。

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